私は、カルト宗教の信者だった。
この教団の手によって人命が奪われる凄惨な事件が何度も起き、その度に社会を震撼させたが、それでも当時の私は教義を疑うことはなかった。
自分から進んで入信したわけではない。
自分の意思と関係なく、生まれた時点からじわじわと洗脳に近い形でこの宗教に染まっていたのだ。
それはまるで先の見えない『漆黒の階段』を何も疑うことなく登り続けているようだった。
この教団の信者は、成人年齢を少し超えたあたりから、本格的に宗教活動に参加し始める。
まずは、定期的に開催される儀式に参加し、そこで振り分けられた教団組織への忠誠を誓うところからスタートする。
この教団はシンボルカラーである「黒」に対する異常なまでの執着があるため、儀式や活動に参加する際は黒装束を身に纏うだけでなく、髪の色や目の色に至るまで、あらゆるパーツを「黒」に統一しなければならない。
信者たちの容姿は画一的であることが絶対とされ、個性を出すことは許されない。周囲に歩調を合わせられない信者は徹底的に弾圧され排除される。
儀式では、教団組織の上層部のお言葉を直々に聞くことができる。話を一言も聞き漏らすまいと必死にメモを取ったり、さながらメタルのライブでヘドバンをしてるいかの如く顔を上下に激しく振り、教義への忠誠心を示す者が教団内で高く評価される。
組織の振り分けが決まったら、組織から与えられた「役割」を忠実にこなしていくことになる。
こうして、一歩でも足を踏み外したら奈落の底へ落ちてゆく『漆黒の階段』を一生登り続けることになるのである。
私が、信者の一人として初めて儀式に参加したのは、大学3年生の冬の寒い日のことだった。
この儀式は、世間一般では「合同就職説明会」などと呼ばれている。
私は、いわゆる「就活解禁日」の前日まで髪にパーマをあて金髪に染めていたが、儀式に参加するために美容院に行き、清潔感のある黒髪ストレートに戻した。
「なぜ金髪ではダメなのか?」という疑問を抱くことは一切なかった。
仮に誰かに問われたとしても、「黒髪が当たり前だから」「みんなそうしているから」といった思考停止した答えしか浮かばなかっただろう。
今思うとこの時点で既に洗脳されていた。
また、儀式に備えて真っ黒なリクルートスーツや真っ黒なカバン、真っ黒なベルト、真っ黒な靴、真っ黒な靴下も用意した。さらに、私は色素が薄いせいかもともと目の色が少し明るい茶色だったため、教団内での印象を良くするためにナチュラルな暗い色のカラーコンタクトも着けるようにし、用意周到に準備した。
そして迎えた儀式の日、敬虔な信者たちはみな真っ黒なスーツに身を纏い、遠目から見たら全く同じ姿で会場を闊歩していた。
しかし、何人かちらほらと私服で参加している者がいたのである。
当時の私には信じがたいことだった。
参加する信者たちは、当然全員真っ黒なスーツで来ると思っていた。
いくら「服装自由」の企業があるとはいえ、他のほとんどの信者たちがスーツで来ているというのに、周りに合わせようとしない協調性のなさが信じられなかった。
ましてや、服装で個性を出すだなんてあり得ないことだと思っていた。
これも今思えば完全に洗脳されていた。
説明会のブースには金融・小売・メーカーなど様々な業界の企業が並んでいるが、いずれも同一の教義のもとに運営されている教団の組織である。
私は、話を聞く際は逐一メモを取り、大袈裟にうなずくことで忠誠心を示し、「私は感情のないロボットです!24時間いつまでも働きたいです!」と従順さをアピールし続けた。
その結果、ある飲食チェーンを展開する企業から内定を頂くことができた。
「仕事はお金を集めるためではなく、お客様の笑顔を集めるためにするものだ」という経営理念に感銘を受け、滅私奉公の精神で生涯をこの会社のために捧げることを誓った。
その当時、同業他社の居酒屋チェーンで従業員が過労で自ら命を絶つという事件が起きた。言い換えれば、この教団の正体である「ブラック企業」の手によって従業員の命が奪われたのだ。
この事件は社会を震撼させたが、それでも私は教義を疑うことはなかった。
こうして私は『漆黒の階段』を一歩づつ着実に登っていったのである。
あれから、気づけば5年もの月日が流れていた。
100人以上いた同期の人数は10人ほどになっていた。中には軍隊のような新入社員研修に耐えられず、1週間も経たないうちに会社を去っていく者もいた。
辞めていった同期のほとんどはその後暗い人生を送っている。フリーターか、良くて派遣社員。引きこもりや消息不明になった者も多くいる。
これは、教団の教義に「新卒至上主義」という考えがあるからだ。「新卒カード」を失った者は徹底的に弾圧され排除されるため、ほとんどの企業がこの教団の配下でブラックに染まっている日本社会で再び他の企業に入ることは容易ではない。
『漆黒の階段』から足を踏み外した者は奈落の底に転落するのである。
かくいう私も、他人の心配をしている暇はなかった。
わずかな仮眠のみで24時間目まぐるしく働く毎日が続いていた。考えると辛いだけなので感情を持つことをやめ、仕事中は自分をロボットだと思い込む癖がついていた。
若き日の宣言を忠実に実行している自分がもはや滑稽に思えた。世間一般でいうところの、立派な「社畜」になっていた。
その当時、ある広告代理店の若い女性従業員が過労で自ら命を絶つという、教団の手によって命が奪われる凄惨な事件が再び起き、社会を震撼させた。
それでも、私は教義を疑うことはなかった。
ここで教義を疑うことは自分自身を否定することになる。
今まで教義を信じてがむしゃらに頑張ってきた自分の努力はなんだったんだ。
日本一笑顔を集められる店にしようと思ったんだろう?
自腹で色んな日本酒を買って店に並べたり、営業中にメシなんて食わず一流の社員になろうと思って頑張ってきたじゃないか。
コンプレックスの塊だった頃の自分が随分遠くに見えるようになった未来にきっと幸せが待っているだろうと信じて歯を食いしばって睡眠時間をさらに削って仕事量を増やしてもはや今日が連勤何日目だかわからなくなったその時、私は倒れた。
過労とストレスで肉体的にも精神的にも限界に達したのだ。店内は騒然となり、私はすぐさま救急車で病院に運ばれた。
車内の朦朧とした意識の中で「あぁ……、私は…もしかして…カルト宗教に入信してしまったのかもしれない」とも思った。
しかし、このような考えは逃げであり、自分の努力が足りなかったことから目を背けているだけでしかない。
『漆黒の階段』から足を踏み外し、奈落の底に転落していった者は何人も見てきた。
ならば、この『漆黒の階段』を登りきった先に何があるのか、辞めていった同期のためにも、この目でしかと見届けてやろうと思った矢先、その願いはすぐに叶うこととなった。
なぜなら、私は今天国にいるのだから。
(注)この物語はフィクションであり、実在の人物・団体等はちょっとしか関係ありません。