初秋の長い夜のことだった。
暑い日々が終わり、あれだけ元気に鳴いていた蝉の声もいつしか聞こえなくなっていた。
夏が終わるとわけもなく大切な何かをやり残しているような気持ちになる。
眠れずに横たわったままそんなことを考えていると、解決しようもない焦りにも似た感情が頭の中を支配していた。
「このままでは終われない」
何をどう終わらせたかったのかよくわからないが、意味不明な焦燥感にかられた僕は目的もなく外に出て深夜の街を徘徊することとした。
午前2時、近所の川沿いの土手にオンボロのチャリを漕いで行った。
ビロビロに伸びた寝巻きのジャージを着てサドルの低いママチャリのペダルを漕ぐ様は完全にDQNだった。
かつて同時刻に見えないものを見ようとして望遠鏡を担いで踏切に行き、後世に残る大ヒット曲を生み出したBUMP OF CHICKENの藤原基央とは天と地ほどの差である。
そんな卑屈な対比などものともせず、立ち漕ぎで川まで全力疾走した。
人々が寝静まった深夜の川沿いは水のせせらぎと鈴虫の鳴き声が耳に心地よく響き、土手一面に生い茂るススキの上に満月が皓々と冴え渡っていた。
こんな滅多に見ることのできない、松尾芭蕉だったら間違いなく何か一句読んでいるであろう役満の風流な景色に胸が高鳴った。
普通なら静かに美しく闇を照らす月明かりに見とれて感傷に浸るところだと思うが、深夜テンションでハイになっていた僕はなぜか一人でピョンピョンと飛び跳ねていた。
この高まった感情を忠実に再現してくれる音楽が聴きたくなり、iPodを手に取りアーティスト一覧をスライドさせて選んだ曲は、イギリスのメタルバンドBullet For My Valentineの"Scream Aim Fire"だった。
出典:Bullet For My Valentine - Scream Aim Fire
音楽は、感情を増幅させるアンプである。
音楽を聴くことにより、ただでさえ高かった深夜のテンションは絶頂に達した。
どうせこんな時間だし誰もいないだろうと思い、曲に合わせて時折「ア"〜ゥ"!!」とか「フワ"ァ"ァ"ァ"ァ"ア"オ"!!」とシャウトをしながら小躍りではしゃいでいた。
さながらライブ会場にいるかのような勢いで首を上下に激しく振るヘッドバンギングをして浮かれていたそのとき、誰かがポンと僕の肩を叩いた。
警察官である。
目の前が真っ白になりそうだった。
警察官「君こんな時間に、何してるの?」
イヤホンを外し、こう答えた。
僕「お、お月見です……。」
この時の自分を蹴り飛ばしたい。
コンビニに買い物に行くところでしたとでも答えればよかったものを、なぜこんなアホみたいな言い訳しか出なかったのだろうか。
警察官「お薬とかやってないよね?」
僕「ややややってないですそんなの!」
もはや薬中と疑われているようである。
警察官「ちょっと所持品調べさせてもらっていいかな?」
僕「ハイワキャリマシタ…」
手を上に挙げさせられて、ポケットのあたりをくまなくチェックされた。
まさかこんな土手で、飛行機の国際便の出発時に金属探知機が鳴ったときと同じレベルの身体検査を受けることになるとは思いもしなかった。
警察官「所持品に凶器や薬はなしと」
そんなカジュアルに凶器や薬を持っていても不思議ではないレベルでヤバいやつだと思われているみたいだった。
警察官「あとその自転車、本当に君の?」
僕「はいそうです!僕が買ったやつです!」
警察官「じゃあちょっと防犯登録の照合させてもらうね」
今度はキョドらずにしっかり返答したから信じてもらえるかと思ったが全くそんなことはなかった。
警察官がレシーバーで警察署かどこかに連絡し、照合確認が終わるまでの間にも色々と聞かれた。
警察官「職業とかは、ちゃんとあるの?」
完全に心の中では僕が無職であることに全賭けしているのが見え見えな質問であった。
僕「一応、税理士の仕事とかしてます。」
警察官「えぇ?明日も平日で仕事あるのに公務員がこんな時間に出歩くかね普通」
聞き間違えたのかわからんが、もしかしてこいつ税理士を公務員だと思ってんのか?
こいつマジで終わってんなと思ったが、よく考えたら客観的に見て終わってるのは僕の方である。
深夜に川沿いで奇声を発しながらヘドバンしてるDQNと、パトロール中に不審者を見つけて職務質問している警察官と、どちらが終わってると思いますか?と街頭アンケートで100人に尋ねたら、おそらく100人全員が僕の方が終わってると答えるだろう。
他にも色々と聞かれたが、そもそも仕事のことも信じてもらえていないようだったし、今までに補導歴や逮捕歴はあるかとか、本当に薬やってないかとか、人を信じるという気持ちが一切感じられない質問ばかりであった。
しばらくして自転車の防犯登録の照合確認が終わり、盗難車でないことがわかったら、とりあえず解放してもらえた。
警察官「最近不審者の事件が多くて取り締まりを強化しているから、注意するように」
そう言って、その警察官は去って行った。
あれは「僕が他の不審者から危害を加えられないよう気をつけるように」という注意喚起だったのか「不審者である僕がもし何か事件を起こしたら容赦なく取り締まるから覚悟しとけよ」という警告だったのかわからないが、とにかく一難が去ってホッとした。
テンションが地に落ちた僕は、警察官が去った後もしばらく土手に座りこんでいた。
自分が深夜に奇声を発しながらヘドバンして職質を受けたDQNであるという事実を認めたくなくて、「自分はDQNではなく、周囲の音に合わせて小刻みに顔を揺らしてリズムを取るただの陽気な人なんだ」と自分に言い聞かせるために、鈴虫の鳴き声に合わせてゆっくりとヘドバンを続けた。
中秋の名月の風流な情景に映える実に優雅で趣のあるヘドバンであった。
しばらくして気持ちの整理がついたら、僕は立ち上がり帰路についた。
自転車から降りて、道路のなるべく端っこの方を人様の迷惑にならないように静かに歩いて帰った。
僕はその日以来、外でメタルを聴いていない。